改革の熱、今は 【写真で振り返るレフォルマシ(1)】
その瞬間、ホテル・インドネシア(HI)前ロータリーを埋め尽くした闘争民主党(PDIP)の支持者たちが大歓声を上げた。1999年10月20日。国民協議会(MPR)で大統領を決める投票が終わり、すぐさま開票作業となった。総選挙で約34%を得票し、第1党に躍進したPDIPの党首で、「民主化のヒロイン」メガワティ氏。「レフォルマシ(改革)」の掛け声とともに、時代の寵児(ちょうじ)となった彼女の大統領就任が決まったはずだった。
当時はインターネットは普及しておらず、開票作業を生中継で報じるラジオ番組が大音量でスピーカーから流されていた。しかし、群衆の大歓声がその音をかき消したためか、最初はメガワティ氏が大統領になったとの話が流れ、支持者たちは大喜び。敗北の報が広まったのは少し経ってからだった。
悲しみに暮れる支持者たち。黒い戦闘服に身を固めたPDIPの私設警護隊の隊員たちも涙を流して悔しがった。
ほどなくして、MPRの投票が行われていた国会に向かうということになり、怒りの行進が始まった。スディルマン通りを南下し、国会まで約5キロの道のりを支持者に付いて歩いていった。
門を閉めて、破壊行為を警戒するオフィスビルの警備員たち。コップ型の飲料水が詰まった段ボール箱を差し出すと、群衆は我先にと群がった。
スマンギ近くの高速道路では、支持者たちが料金所を破壊していた。誰かが火炎瓶を投げつけると、たちまち燃え上がった。
同年6月の総選挙は、民主化時代を謳歌する市民たちのお祭りだったが、10月のMPRの開催が近付くにつれ、治安法の採決を図るハビビ政権への抗議デモが激化。連日のようにデモ隊と治安部隊の衝突があった。
日本の学生運動が歴史の中での出来事でしかない私にとって、インドネシアで見た一つの国が大きく変わる時に発せられるエネルギーのすごさにはただただ圧倒されるばかりだった。その熱を感じたことが、現在までの記者活動の源泉となっている。
99年4月にじゃかるた新聞で記者として働き始めて14年が経った。政治が社会を変えると国民が信じていた時代。当時の改革の熱気は薄れ、人々は自分たちの物理的な利益のみを追い求めているようにも見えるが、内面にはまだまだ、あの頃のマグマが燃えたぎっていると信じたい。(上野太郎、写真も)