【火焔樹】 私に一番近いインドネシア
父の訃報を北スマトラの小さな街で受け取った。ムスリムではなるべく早く24時間以内に埋葬しなければいけない。空港のあるメダンまでは2時間半。飛行機に乗れるかどうかも分からない。この時、事を知った周りの人の行動は生涯忘れられないものになった。
空港に着いた瞬間、私の到着を待っていた私の会社のメダン支店の人が私の荷物を奪い取り「早く」といいながら、定刻10分前でもタラップをつけて待っていた飛行機まで連れて行ってくれた。少しでも早い飛行機に乗せようと手を尽くし事前に航空会社と交渉していてくれたのだ。
しかし結局、ジャカルタ到着後大渋滞に巻き込まれ、父のために集まってもらった人たちを長時間待たせるわけにはいかず、私の到着を待たずに埋葬を行ってもらうことにし、最後は立ち会えなかった。
晩年はぎくしゃくした父子関係だった。しかし、私を少しでも早く目的地に着かせようとゴトンロヨン(相互扶助)の真髄をみせてくれた人々に接し、これこそがまさに父が持ちえた、知らない人でもお腹を空かせた物乞いが門を叩けば家に招き入れ食事を与えるような、インドネシアを象徴する寛大さあふれる人柄だったことを最後の最後で気付かされた。
インドネシアのことなら何でも知っているとばかりに、偉そうなことを公に述べている私が「私に一番近いインドネシア=父」を最期まで知りえなかったことは、痛恨の極みだ。
午前1時半、一寸先も見えぬ闇の埋葬地にたどり着いた私の背後から、運転手が車のヘッドライトを照らしてくれた。そこで感じ得たものは、寛大なインドネシアを体現して生きた父への尊敬と感謝にほかならない。寛大さ、すなわち受け入れること、そして許すことを身をもって教えてくれた。(会社役員・芦田洸=ツヨシ・デワント・バックリー)