「土台作りの1年に」 次なる飛躍目指し JJC新理事長の本岡さん

 ジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)の新理事長に伊藤忠商事インドネシア支配人(兼伊藤忠インドネシア社長)の本岡卓爾さん(54)が就任した。1990年代に続く2度目のジャカルタ駐在。来年の選挙を控えた政治の季節到来で、経済政策が停滞する恐れもある中、「今年は次の飛躍に向けた土台作りのための1年」と位置付け、JJCとしての対応を進めていく方針を示した。

 最初のジャカルタ駐在は1992年末から5年半。90年代の日本企業の進出ラッシュと重なる時期にプラントなどの事業を推し進め、スハルト政権崩壊へとつながる98年の五月暴動の3週間前に帰任した。そして、2度目はインドネシアの「失われた10年」が終えんを迎えた後の2009年10月に着任。リーマンショックの余波を切り抜け、ユドヨノ大統領が再選を決めて、インドネシアへの注目が高まっていった時期と重なる。「個人的にとてもラッキーだった」と話す。
 最初の2年は「イケイケドンドン。とにかく事業をスタートさせろ」というような状況だったが、11年ごろから欧州債務危機を背景とするルピア安が進み、「投資家心理が冷めると資金が引く状況となり、改めてインドネシアが(対外的な資金に対してぜい弱な)新興国であることを認識した」という。
 その後、貿易赤字や最低賃金の大幅引き上げによるインフレなどの問題も持ち上がり、マクロ経済が不安定となる中で、政治の季節に突入。「ポピュリズム的な経済政策が出てくる可能性がある。必ずしも悲観的になる必要はないが、警戒心を持ちながら積極的に対策を講じていく必要がある」と指摘する。
 しかし、来年の新大統領誕生後の5年は「それまでのマイナス面が打ち消されていく」として、さらなる飛躍に向けた準備をしていく必要性を説いた。

■横の連携強化を
 今年は日本インドネシア国交樹立55周年、日ASEAN友好協力40周年という節目の年となり、1年を通じ、様々なイベントが企画されている。
 「秋のジャカルタ日本祭り(JJM)も積極的に協力していきたい。会員企業には役立てるものがあれば、役立てていってほしい。JJCとして、喜んでもらえるような機会を提供していきたい」と意気込む。
 6月にバリで開かれる三都市親善スポーツ大会や例年JJMの初日にある日イ交流スポーツ大会も重要な行事と位置付ける。
 東ジャワ州スラバヤ近郊など、地方への進出企業も目立つようになり、各地の日本人会との連携の必要も高まっていると力を込める。毎年、大使館にインドネシア各地の在外公館、日本人会の代表が集まって行うオールジャパン協力会議で、意見交換した上、医療面での協力などを考えていきたいという。

■「愛される組織に」
 昨年度は、新しい法律に基づいたJJCの組織としての制度変更も完了した。「その部分が固まったので、今年は投資していくタイミング」と本岡さん。スカイラインビル内のクラブハウスの書籍やDVDの充実、スントゥール運動場の改修に取り組み、「良い設備を提供していきたい。会員数も増えているが、組織を拡大しながらも一定の求心力を維持し、ジャカルタの在留邦人コミュニティーで愛される組織にしていきたい」と力を込めた。
 個人部会のソフトボール部では、最初の駐在で2度優勝を経験。2回目の着任時に掲げた優勝の目標を、11年前期に15年ぶりで達成した。かしこまったあいさつが苦手と言い、理事長就任のあいさつでも「冷や汗をかきながら原稿を読みました」と振り返った。(上野太郎、写真も)

◇本岡卓爾(もとおか・たくじ)
 1959年3月、広島県三原市生まれ。一橋大学社会学部卒業後、81年に伊藤忠商事入社。82〜85年にマニラ、92年末〜98年4月にジャカルタ、2001〜06年にワシントン駐在。プラント畑を中心に歩み、2009年10月からインドネシアに2度目の駐在。洋子夫人、一男一女、愛犬のくるみちゃんを日本に残し、単身赴任。

日イ関係 の最新記事

関連記事

本日の紙面

JJC

人気連載

天皇皇后両陛下インドネシアご訪問NEW

ぶらり  インドネシアNEW

有料版PDFNEW

「探訪」

トップ インタビュー

モナスにそよぐ風

今日は心の日曜日

インドネシア人記者の目

HALO-HALOフィリピン

別刷り特集

忘れ得ぬ人々

スナン・スナン

お知らせ

JJC理事会

修郎先生の事件簿

これで納得税務相談

不思議インドネシア

おすすめ観光情報

為替経済Weekly