【南スラウェシ点描】(1) マリノ高原と日本
インドネシア中部に位置するスラウェシ島を旅した。日本の面積の半分くらいの大きな島で山地が多く、道路が整備されているのは都市周辺と海岸沿いに限られる。
まず目指したのは標高1500メートルのマリノ高原。80キロメートルほどの距離だが3時間ほどかかった。高原野菜を栽培する畑や茶畑などの景色が広がり、空気は澄み、気温は15度前後まで下がっていた。茶畑で写真を撮っていると近くにいた警備員の男が、「日本人だぞ、こっちに来い!」と作業をしている女性たちに声を掛けた。すると3人の女性が小走りで私に近づいてきた。
男は私に言った。「あなたの案内をさせましょうか」
今から10年あまり前、マルク諸島や中部スラウェシで宗教や民族の違いから紛争が続いていたころ、和解を目指す調停会議がマリノで開かれた。私はこれからその場所に行こうとしていた。茶畑で働く女性に案内をしてもらう場所ではないが、せっかくの申し出に答えるのも悪くないと思った。
男は一番若い女性だけを私に紹介した。高校を卒業したばかりの17歳で、名前はヌリヤさんという。未成年だし、私とは親子以上の年の開きがある。
「いいんですか、それも仕事中に。会社と家の人に許可をもらって下さい」と私はヌリヤさんに言った。「今日の仕事は終わりました。家に帰ってこの作業靴を履き替えてきます。親にはちゃんと伝えてきます」とヌリヤさんは言った。
ヌリヤさんを待つ間、男は私に話した。
「この茶畑は日本企業が経営していて日本人の駐在員も何人かいました。その一人がここの女性と結婚しましたが、別の会社に経営が移りその日本人は女性を連れて帰国しました。われわれにとって日本は憧れの国ですから、みんなその女性のようになりたいと思っているのです」
ヌリヤさんは赤い靴に履きかえてきた。私を案内するとお父さんに伝えてきたという。私が借りた車にはヌリヤさんだけでなく、男と案内役の男も乗ってきた。仲介役なのか、監視役なのか、運転手や私も入れると男が4人だ。私がヌリヤさんに質問しても、何でも他の男たちが答えた。
しばらくして和平会議が開かれたというホテルに着いた。当時の説明ができる人は誰もいなかった。私たちは会議室を見せてもらった。そこも改装されていて当時を偲ばせる写真なども見つからなかった。ちょっと期待外れだった。
ヌリヤさんはこのホテルは知っていたが、中に入ったのは初めてだという。「マリノ合意」で有名になった場所に来れて良かったと言った。
それからヌリアさんが履いている赤い靴を買ったという中央市場を案内してもらった。みんなもぞろぞろ付いてきたが、午後の市場は人が少なく活気がなかった。そのあとヌリヤさんを家に送って行った。ご両親は外出中だったが、ここにもみんなが付いて来て一時も2人にしてくれない。ハプニングもサプライズもなくヌリヤさんと別れた。みんなこういうことを望んでいたのだろうか。(紀行作家・小松邦康、つづく)