【火焔樹】 末は博士か大臣か
インドネシアの優秀な学生の就職先をみると、公務員になって将来は高級官僚の道を選ぶ人や政治の道に関わろうとする学生がまだまだ多い。民間に就職しても一つ上の学位を取得するため夜学に通ったり、いとも簡単に退職し、働いて貯めたお金で学校へ通う人が数多くいる。そして、チャンスがあれば国の機関に転職したり、政治の道を志したりする者が多い。
豊かになりすぎた日本では死語となってしまった「末は博士か大臣か」という言葉が、まさに現代のインドネシアに生きている。
給料が安くて有名な国家公務員になぜそんなに憧れるのか。「国の発展に貢献したい」と純粋な思いが断トツで多い。今時の日本の若者に聞かせてあげたい一方で、「偉くなればなるほど利権を操れる立場になれ、安い給料なんていっぺんに取り返せる」と堂々と公言する人もいる。
それだけ今のインドネシアでは高級官僚や政治家は特別な立場で権威の象徴であることが若者を刺激するのだろうか、ちょっと困った動機でもある。
国の根幹に関わる人がよこしまな動機を持って仕事をされたらたまったものではないが、悪人がいなければ世の中を正していこうとする人たちのやりがいもなくなるわけで、苦しい解釈かもしれないが、ある意味、それらは発展途上の国インドネシアならではの必要悪かもしれない。
世の中の豊かさを表すバロメータのごとく、連日ローカルの新聞には汚職のニュースが紙面を賑わしている。その一方で、国費で選抜され日本へ出発する直前の留学生たちの希望に満ち溢れたコメントや、草の根活動を通して社会の弱者を救済する若者の話も多く見るにつけ、かつての日本がそうであったように社会の理想と現実の狭間でもがき苦しむ若者たちの試行錯誤が国を作っていくのだろうと感じる。
いずれにせよ、いかなる現実が往く手を阻もうとも、悩み多き若者たちが多く存在する社会は、明るい未来の第一歩であると期待をせずにいられない。(会社役員・芦田洸)