村井吉敬さん死去 ODAのあり方問いただす
インドネシアを中心に東南アジアの開発問題を研究してきた、早稲田大学アジア研究機構教授の村井吉敬(むらい・よしのり)さんが23日午前1時28分、すい臓がんのため、死去した。69歳。通夜・葬儀は近親者で行い、お別れの会を4月8日午後7時半から東京都千代田区のカトリック麹町聖イグナチオ教会で取り行う。喪主は妻の内海愛子(うつみ・あいこ)さん。
村井さんは1943年生まれで千葉県出身。早稲田大学政経学部卒業後、上智大学外国語学部助教授・教授を経て、2008年より現職。上智大学名誉教授。
スハルト政権時代から現在まで日本の政府開発援助(ODA)のあり方を批判し、スハルト退陣前後には日本のテレビ局に数多く出演し、同政権の実態を社会に伝えた。
東インドネシア海域の島々に自ら足を運び聞き取り調査する研究スタイルに加え、98年に非政府組織(NGO)インドネシア民主化支援ネットワークを設立するなど、研究者の枠を超えた活動はインドネシア関係者を中心に多大な影響を与えた。
近年では08年に特定非営利活動法人APLA(あぷら)を立ち上げ、学生などを連れてのエコツアーの実施やカカオによるチョコレートのフェアトレードなど、パプアと日本をつなぐ市民活動にも携わってきた。
12年6月末にすい臓がんの手術を受け、抗がん剤治療を続けてきたが、13年1月半ばに入院。同月末に再発と余命宣告を受けた。入院中は遺作となった「パプア 森と海と人びと」(めこん)の校正に取り組んでいたという。
主な著作に「エビと日本人」「エビと日本人II」(岩波書店)など。