邦人社会の先達しのぶ 「多くの人の参加を」 日本人納骨堂春季慰霊祭
ジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)主催の日本人納骨堂春季慰霊祭が20日、ジャティ・プタンブラン墓地で開かれた。
石兼公博・東南アジア諸国連合(ASEAN)大使、本帰国が決まった在インドネシア日本大使館の山岸正裕領事部長と後任の河内俊夫・新領事部長、水野正幸JJC理事長、菅沼一郎JJC個人部会長、福祉友の会の宮原永治顧問、東レ・インドネシアの黒田憲一顧問や遺族ら約30人が出席し、黙祷した。雨笠俊夫JJC運動部長が読経をする中、順に納骨堂に入り焼香し、ジャカルタの日本人社会の歴史に思いを馳せ、故人を偲んだ。
日本人納骨堂は1931年に、当時の日本人会有志7人が発起人となりバタビア日本人会共済会を組織し、建立された。ジャカルタ内に点在していた身元がわからない「からゆきさん」の遺骨を10年かけて収集し、安置した。第二次世界大戦後、管理が滞っていた納骨堂を見かねた邦人有志が59年に日本人墓地保存会を結成し在留邦人からの寄付を募り、翌年12月に第1回合同慰霊祭を実施。以来、毎年春と秋の2回、慰霊祭を行っている。
現在、北は樺太、南は沖縄まで、インドネシアに来た277人の遺骨が日本人納骨堂に納められている。年代の内訳は明治35人、大正67人、昭和153人、平成1人、時代不詳が21人。
インドネシア在住が50年以上になるルスタム禮子さん(80)は、仏教徒だった息子さんの遺骨を同納骨堂に納めた。慰霊祭には毎回参加しているが、参加者数が以前に比べてやや減っていると感じており、多くの方に参加してほしいと語った。
参列者は、この後、タナアバンの墓碑公園で第二次大戦中に西ジャワ州ボゴール近郊で戦死した新潟県新発田の日本軍「廣安梯隊」30人の慰霊碑でも追悼式を行った。(宮平麻里子、写真も)