「西パプア」独立を 解放運動派 国連に請願書提出

 インドネシア東端ニューギニア島の西半分を占める「西パプア」の分離・独立を訴える請願書と180万人分の署名がこのほど、国連事務局に提出された。英ガーディアン紙など複数のメディアが報じた。 

 半世紀近くくすぶり続ける西パプア独立問題について、アブドゥルラフマン・モハンマド・ファヒル外務副大臣は28日、「動向は注視するが、西パプア問題は(住民投票の行われた)1969年に解決済みだ。請願書は注目を集めるための手段にすぎない」とのコメントを出した。
 一方、オーストラリア北部からインドネシアにまたがるメラネシア地域の島しょ国であるソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相は「(請願書提出は)より良い将来への願いを表明した」と述べ、独立を目指す国連直訴を歓迎した。
 請願書を提出したのは、西パプア、パプア両州をまとめた「西パプア」の解放運動派。インドネシア治安部隊による人権侵害を訴えるとともに、自由意思に基づいた、西パプア独立を問う住民投票実施を要求している。
 同解放運動派のベニー・ウェンダ・スポークスマンは「(インドネシア領入りが正式に決まった)69年の住民投票では治安部隊による住民への脅迫があった。(今回の)請願書の作成過程でも57人が治安部隊に逮捕され、54人が虐待された」と述べ、独立派住民に対する弾圧が続いていることを訴えた。
 請願書に同意・署名したとされる住民の人数「180万人」は解放運動派の発表に基づくが、正確な数字かは定かでない。中央統計局(BPS)によると、2016年現在のパプア、西パプア両州の人口はそれぞれ約320万、89万人。10年実施の国勢調査によると、両州内に住むパプア人の比率は約66%。
 パプア、西パプア両州はかつて「イリアンジャヤ」と呼ばれ、ニューギニア島の西半分を占めていた。1898年からオランダの植民地となったが、1961年にスカルノ政権が西イリアン解放闘争を起こしオランダと武力衝突。62年に米国の仲介で「ニューヨーク協定」に調印し、63年にインドネシア移管。69年の住民投票でインドネシア領となったが、自由パプア運動(OPM)を名乗る独立派が「西パプア共和国」建国を掲げて分離・独立運動を展開した。
 90年代には、同島の豊富な地下資源の権益をめぐって独立運動が再燃。この結果、広範な自治権を認めるパプア特別自治法などが2001年に制定されたが、インドネシア統治に対する不満、不信感は根強く、独立を求める火種は残ったままだ。(中島昭浩) 

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