終わりなき航海へ マジャパヒト号の山本良行さん
日本に向け11日、ジャカルタから出航したスピリット・オブ・マジャパヒト号に乗り組む海洋冒険家の山本良行さん(67)が初めて航海に出たのは、28歳の時だった。いかだ、カヌー、帆船で実験航海を繰り返してきたが、いつも「次はこうやってやろう」と思う、と話す。山本さんの航海に終わりはない。
「東アジアの古代」をテーマにアジア海洋文化史を研究していたことがきっかけで、航海に出た山本さん。74〜77年のいかだでの航海の際、フィリピンで船体を安定させる「アウトリガー(舷外浮材)」の船と出合う。アウトリガーはインドネシアで発達し、フィリピンやマダガスカルなどに伝わったことを知る。
山本さんはアウトリガーカヌーでインドネシアを出発し、世界初となるインド洋7500キロの単独横断に成功。日イ共同の航海でボロブドゥールから東京へ渡ったり、日・イ・台湾共同で南太平洋や黒潮航海に出たりするなどアウトリガーの船で航海を続けてきた。
今回の「スピリット・オブ・マジャパヒト」はインドネシアを初めて訪れたヨーロッパ人が見たとされる、コラコラ型と呼ばれるインドネシアの船についての記録と、ボロブドゥール遺跡のレリーフを参考に設計し、復元したアウトリガーの帆船だ。エンジンを使うと時速7ノット(約13キロ)、帆走時は5ノット(約9キロ)で進む。
船員は時間交代制で、それぞれ仕事をしながら生活する。甲板の端に二つのトイレがあり、甲板の下にエンジンルームや船室、台所がある。台所には鍋やフライパンの他に、コメや油、魚の缶詰、野菜などが置かれていた。主食のコメを中心に食生活を送り、魚を釣って食べたりはしないという。お祈り用に体を洗う水は甲板にあり、船の中央がメッカの方向に向かって祈る場所となっていた。
山本さんがインドネシアの船員について驚いたことは二つ。一つ目は食べる量だ。「3日分の食料を用意して渡したら、1日で全部なくなっていた。とにかくよく食べる。日本の平均的な量の3倍くらい食料がいる」。もう一つは「海に対して不安を抱いていないこと」と話した。
「フィリピン付近での台風の心配があるが、島が多いエリアなので逃げ込める。何度も航海したが、まだ1人も死なせていませんよ」と笑った。(毛利春香、写真も)