津波後 観光客3倍に 発電船に資料館完成 アチェの「ダークツーリズム」
22万人以上の死者・行方不明者を出した2004年12月のスマトラ沖地震・津波で、最大の被害を受けたアチェ州の州都バンダアチェ。災害の被災地などを訪れ、自身の体験として学ぶ「ダークツーリズム」が盛んになり、市の観光課によると2015年は観光客が8年前の3倍に増え、約26万人になったという。外国人の姿が目立つようになったバンダアチェを1年ぶりに訪れた。
市内のウレレ港に接岸し町に電気を供給していた電力会社の発電船が巨大津波の直撃を受けた。船は津波にのまれ、がれきに覆われた町を蛇行しながら2日間漂流し、海岸から約5キロ内陸の住宅に衝突して止まった。船員の中には亡くなった人もいたが、船のおかげで命拾いした住民もいた。
「小さい子どもを連れていたので逃げ遅れた。屋根の上で夜を明かし目が覚めたら大きな船が目の前にあった。船に乗り移り、水が引くまで待つことができたので助かった」。10年前、住民が私に話をしてくれたことがある。
その発電船はその後も撤去されることなく、悲惨な巨大津波に襲われた町の記憶を物語るモニュメントになった。この船の前に立つと、誰しも信じられないことが起きていたと実感できる。数年前から市は周辺を記念公園として整備し、無料で入園できるようにした。船のデッキに上がると市内が一望できるため、アチェに来た人が必ず訪れる場所としてにぎわっている。
今回訪れると、発電船の内部が資料館として見学できるように変わっていた。映像で津波発生時からの被災状況がわかりやすく説明されている。昨年3月に訪れたジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領の発案で9月に資料館がオープンした。そのためインドネシア語の分からない外国人の観光客も増えているという。
きょう追悼式典
東日本大震災発生から5年になる3月11日、バンダアチェの津波博物館では追悼式典が開かれる。今回で5回目になる式典は、技能実習生として日本各地に派遣されていたアチェ出身者らの団体「インドネシア日本友好協会」が主催し、北スマトラ州のメダン日本総領事や地元の自治体や学校など300カ所に招待状を送付したという。宮城県東松島市の小学生とアチェの小学生をスカイプで結び、相互理解を進める催しも行われる。(紀行作家・小松邦康、写真も)