暮らしは住まいから変わる カンプン化する団地 団らんの場 都市ガスも 特集
スラムから集合住宅(団地)に移った人々を追った。団地をカンプン(集落)化するユニークな柔軟性が垣間見えた一方で、低所得者層に新しいライフスタイルへの変動が見てとれた。
▼孤立しない解放空間
家々が密着するムラは、互いを深く知り合って生きる―。密で深いコミュニケーションは団地にも受け継がれている。バッソ売りのワルランさん(57)が働く団地の1階は、吹き抜け。カキリマ(屋台)と椅子が並ぶ団らんの場。仲間同士たむろっておしゃべりする「ノンクロン」が花盛りだ。
たくさんの人が入れ替わり立ち替わりし、無数の情報が交換される。「A棟の○○さんがどうした」と口コミの網が広がる。近代的なものを自分たちのやり方で活用する点では、コンビニのカフェスペースで夜遅くまでたむろする若者たちにも似ている。
団地の造りもカンプン的だ。棟の吹き抜けを挟んでドアとドアが向き合う形にしている。住民が「ゆるやかにつながれる」よう工夫している。
団地は箱形で縦に積み上がるため、人をできるだけたくさん収容できるのが特徴だ。
日本の古い団地の多くではドアが横に並んでいる。互いのプライバシーを守るのには役立つが、付き合いが希薄になる。団地の個室で病気になり苦しんだり、孤独死する事例がある。
だが、インドネシアの団地は違う。共有空間と私的空間を区別しない暮らしを引き継ぐ。アルミニさん(47)はドアを開けっ放しにして、居間をキオス(売店)にした。私的な部屋を共有空間に開け広げた。洗濯機でランドリーも始めた。携帯電話のプリペイド売りもいる。看板が構内にあり、団地がカンプンになる風景だ。
各階に共有部分はたっぷり。売店や電気系統、コードが通った部分に洗濯物を干したり、吹き抜けに竹を渡して洗濯物を干したりする。欧米や日本の私有の観念とは、根本から違うようだ。
部屋では、はだし。床の上に腰を降ろす。椅子や机は置かず、床に座って食事。自分の流儀は守られる。
団地をカンプンのルールで「改造」している。
▼近代設備との出会い
団地に設置された都市ガスと水道は生活の大きな前進だ。
マルンダ団地はインドネシアの団地史上初めて都市ガスをつけた。それまでは液化天然ガスのガスボンベを買っていた。ワルン(露店食堂)を経営するワティさん(50)は「焼けるのが早くて、安定している。ボンベのように漏れたりしない」と話した。カンプンでは一つの家が焼けると延焼し、全部焼けてしまう。コンクリート造りは危険性を取り去っている。
それから水道だ。住民の多くは水道を初めて手に入れた。以前はタンクローリーや水の小売商、末端の水商人から、生活・飲料水を買わざるを得なかった。
ジャカルタでは水道水にアクセスできない、あるいは使わない人はまだ一定数いる。生活、工業用にジェットポンプで地下水をくみ上げることが、年間十数センチの地盤沈下の要因だ。
マルンダ団地では屋内農場の実験が始まった。土を使わず、水を効率的にあげることで、生育を早められる。住民が野菜を育てそれを自身で食べたり、あるいは市場で売って糧にする。
日本に先行例がある。宮城県に世界最大級の屋内農場があり、LED照明を使ってレタスを最速で生育し増やしたりしている。
これらは団地で暮らすことが完全に都会的な暮らしにならないようにする工夫だ。
▼中間層に押し上げる装置
カンプン住民が消費社会に参入することを後押しするかもしれない。団地の居住者では「三種の神器」のうち、冷蔵庫や洗濯機を持っていない人が多くいた。ランドリーが成り立つのは、手で洗濯する人がまだまだいる証拠。生活基盤がしっかりしていくと、耐久消費財に手がどんどんのびていく可能性がある。
核家族化が進む兆候も見えた。団地の部屋は、親の部屋と子どもの部屋と居間という核家族を前提化している=図(右)。孫、ひ孫の代までともに暮らすことも珍しくないインドネシアで、大きな変化だ。
元スラム居住者たちは州営DKI銀行を通じた家賃の支払いを始めた。専用の番号を通じて、キャッシングマシーンで払う。管理事務局に収めていたが、汚職を防ぐ狙いから振り込みに移行した。
低所得者層の「銀行預金デビュー」だ。低所得者たちが貯蓄を始めることは良い。家族が病気になったり、失業したりしたときに家計が持ちこたえる可能性が増える。スハルト時代にも「国家開発貯蓄(タバナス)」という貯蓄を普及する試みがあった。ちりもつもれば山となり、DKI銀行は人々の預金を公共事業に融資すれば、インフラ開発の一助になるだろう。
団地は低所得者が利用しやすいよう工夫している。都市化の状況とも符合する。ジャカルタの人口密集を考えると、カンプンをつぶして高層化するしかない。
近代的設備を得て、カンプン的な暮らしが守られれば、人々は団地に移ると記者は感じた。バッソ売りのワルランさんは「最初は抵抗感があるが、移ればこっちの方が断然いい。高層階に住むのも抵抗を感じない」と話した。
低所得者層の底上げにつながり、中間層の拡大に寄与する可能性がある。日本の「団地族」の再来か。
住まいから暮らしを変えるアイデアはいまは緊急を要している。スハルト時代からカンプン再生計画があり、国営住宅プルムナス、住宅国務省が設立。カラ副大統領はユドヨノ政権1期の副大統領として「団地千棟計画」を立ち上げた。ジョコウィ氏も開発に伴う立ち退きに団地を活用することに熱心だ。集合住宅は加速する兆しを見せる。
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北ジャカルタで、プルイット貯水池沿いのカンプンクム(スラム)の住民が移り住んだマルンダ集合住宅(団地)、ムアラバル団地を取材の上で執筆した。(吉田拓史、写真も)