【ジャカルタ・フォーカス】墓は沈み、村が浮かんだ 西ジャカルタ・カプック 地盤沈下の波[上]
沼に浮かぶ集落、カンプン・アプン(浮かぶ村)は、雨期になると絶えず洪水にさらされる。沼底にある3500基の墓、土地への愛着が、地盤沈下が生んだ村を袋小路に追い込んだ。
水草に覆われた沼の前で、ジャカルタ特別州政府のポンプ車が眠っていた。海抜ゼロメートルの沼を排水するために設置した。だが、アプン村の隣、マワール村に住むエイオスさん(53)は「水草の下にはたくさんのごみが詰まっていた。2カ月前に作業が止まり元のもくあみだ」と話した。その下に墓があるはずだが、数十年水に浸かっている。しかも、インドネシアは土葬が主流だ。
アプン村はオランダ植民地時代、海岸沿いの墓地だった。今も海から300メートルの立地。西ジャカルタ・カプックは地盤沈下が激しい地域の一つ。周囲が土地をかさ上げするなか、村は取り残され、やがて周囲の雨水、排水がたまる沼の底に沈んだ。
1987年ごろ、人々が墓の上に移り住んだ。8月現在で132世帯が住む。州政府は公有地の上を占拠した村に最低限の権利は認めるが、公認していない。
水草は水面を覆い隠し、とても固く上に乗ることも可能だ。村民はこれを切り刻んでキロ2千ルピアで卸売商に売り、収入源にしている。魚などとともに調理されるといい、卸売商は中央ジャカルタ・サワブサールの市場でキロ1万ルピアで取引するそうだ。
住居は沼の上に3メートルほどの竹やコンクリートの足場の上。周囲と隔絶された孤島のようだ。東側の大通りから延びたコンクリート造りの道が沼に一本だけ延びる。村の西側は高さ4メートルはある壁で隔てられる。沼の水が自分の場所へと流れ込まないよう周辺の住民や工場が建てたものだ。
あまりにひどい仕打ちだ。「自分たちだけの安全を考えている。忘れられた人たちのことを考えられない」。住民代表のジインさん(50)は吐き捨てた。ジインさんは周囲の工場が地下水をくみ上げるせいで、自分の土地が沈んでいると考えている。
ジインさんによると、海抜マイナスの沼の上集落は、2007年の首都大洪水で壊滅的被害を受けた。その後、英銀、地元企業などから財団を通じた支援がなだれ込んだ。木組みの通路は沼の底まで基盤を持つコンクリート造りに姿を変え、入口の通路もでき、大半が日雇い労働者などの住民の収入源として、ナマズ養殖池が整備された。
ただ、これらは州政府の施策にぶつかる結果になる。州政府は沼底の3500基を西ジャカルタの公営墓地に移転した後に沈んだ土地を直していく方針だった。住民を移し、その後、墓を移し、土地を直すのがより簡単な解決策だったはずだが、大支援により村民は生活基盤を強めた。ジインさんは「学校、保健所、水道と社会施設を村につくるべきだ」と話した。
しかも、ジインさんは沼の上に住むことへのこだわりすら見せる。「住民は曾祖父から分かれた一つの家族。ジャカルタ土着の民族のブタウィ人だ」と言い張る。土地の子という意味があり、非華人のインドネシア人を指す「プリブミ」だとも説明する。土地への愛着が難しい形で出ている。(吉田拓史、写真も)(つづく)