最後の元残留日本兵 死去 小野盛さん、享年94歳 英雄墓地に埋葬
第二次大戦で日本が敗戦した後、インドネシア独立のために戦った「元残留日本兵」の最後の一人、東ジャワ州バトゥ市在住の小野盛さん(おの さかり、インドネシア名=ラフマット)が25日午前5時50分、同州マラン市内の病院で亡くなった。享年94歳、死因はチフスによる合併症。家族や元残留日本兵の相互扶助組織「福祉友の会」の関係者らは故人の死を悼んだ。
小野さんはレバラン(断食月明け大祭)後に体調を崩し、今月11〜14日にマラン市内のエティ・アスハルト病院に入院した。その後、自宅にいったん戻ったが、20日から同市のマラン・ムハマディヤ大学病院に再び入院した。25日、体調が悪化し、同病院で死亡が確認された。
元残留日本兵の宮原永治さんが昨年10月亡くなり、小野さんが最後の一人だった。今月17日に大統領宮殿で開催された独立記念式典は欠席した。しかし、小野さんのインドネシアを思う気持ちは強く、同記念日に合わせた地元民放の取材に「インドネシアはより発展しなければならない」と話した。
自宅に戻った小野さんの遺体は25日午前10時半ごろ、国軍兵士らに迎えられた。棺にインドネシア国旗「メラプティ(紅白旗)」をかぶせ、兵士らは棺を担ぎ、県内の英雄墓地に向け出発した。墓地ではウスタッド(説法師)によるイスラムの祈りとともに国家英雄として英雄墓地に埋葬され、家族28人や友人が故人の冥福を祈った。息子のエル・スヨノさんは「偉大な父の死に悲しみを感じている。最近まで孫と仲良く過ごしており、まだ信じられない」と話した。父との思い出について、子どものころ、ジャングルでの銃撃戦の武勇伝を聞いた。失敗談もあり、初めてのモスクには、靴を脱がずに入ってしまったという。
小野さんは1979年に設立された福祉友の会に入会し東ジャワ州副支部長を務め、元残留日本兵の地位向上に尽力した。同会スラバヤ支部の石井ヤントさんは「お疲れさまと声をかけたい」と述べた。(小塩航大、西村百合恵)
▲ 残留日本兵 1945年8月15日、日本の敗戦で中国や東南アジア諸国で多くの日本兵が取り残された。その後、帰国せず現地に留まった者もいる。インドネシアでは、オランダとの独立戦争に多くの日本兵が身を投じた。福祉友の会によると、約900人の日本兵が参戦し、531人が戦死や行方不明。324人が生き残りインドネシア国籍を取得。45人が日本へ帰国した。