【ジョコウィ物語】(1)叔父ミヨノが導く 古都ソロから新大統領
大統領選挙で当選を確実にしたジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)氏。中部ジャワの古都ソロで生まれ育ち、家具輸出業の実業家として成功。実行力ある型破りの庶民派首長として脚光を浴び、大統領の座を手にした。どういう人物なのか。地元ソロの関係者たちの証言を基に53年の足跡をたどる。
ジョコウィの母方の叔父ミヨノ(73)は9日、投票を終え、ソロ市アフマッド・ヤニ通りにある自宅で開票を見守っていた。勝てるのか、負けるのか。妹スジアトミ(71)がジョコウイの母親である。車で15分ほどのスジアトミの家には親族や報道陣が集まっているが、しばらく自宅のテレビの前から動けなかった。
当選確実の報道を見て娘夫妻と一緒に妹宅へ。30人ほど集まった親族の中で最後に来たのはミヨノだった。「新大統領の母親」。スポットライトを浴び、テレビカメラの前でインタビューに答える妹を客間から見つめながら、自分の子どものように世話してきた甥(おい)っ子の勝利をしみじみとかみしめた。
■家族同然で成長
ミヨノはジョコウィにとって両親の次に重要な人物だ。1960年代からソロで製材や家具業を手掛けてきた実業家。幼いジョコウィらを抱えた妹夫妻の家は材木市場近くの河川敷にあったが、バスターミナル建設のために撤去された。そのとき、妹一家を引き取って以来、ジョコウィら4人の子どもの面倒も見てきた。妹の長男であるジョコウィは自分の長男トリヨノと同い年。幼稚園から中学校まで同じ学校に通い、一緒に暮らした兄弟同然の仲だった。
ミヨノは小規模な製材業で身を起こした父を見て育ち、物心ついたころからノコギリを握った。10代で結婚した妹夫妻に家業を手伝うよう誘ったこともある。妹夫妻を自宅に呼んだのも「子どもたちにしっかりとした教育を受けられる環境が必要だ」との思いからだった。
だから、ジョコウィの学費も支援した。大学卒業後、いったん就職した後、家具業をやりたいと言ってきたジョコウィに家具製作から生産管理までゼロから教えた。自分の家具工場・ロダジャティ社の一従業員として全ての業務をさせたのも、いつか何かの役に立つと見込んだからだ。
独立して事業拡大し、欧州への輸出で成功したジョコウィから「家具業者協会の仲間たちに市長になってほしいと言われている」と相談されたことがある。2004年ごろだった。「自分の利益を追求するビジネスだけでなく、もっとたくさんの人々の役に立ちたいとの思いが強くなったようだった」。
■党支部長に仲介
そこで知人のハディ・ルディアトモ(53)に声を掛け、ジョコウィと引き合わせた。ルディアトモは闘争民主党(PDIP)のソロ支部長で、さまざまな業種の実業家仲間にもよく知られている。寡黙なジョコウィとは対照的に朗らかな性格で、この2人が意気投合。ペアを組んで市長選に出馬することになった。親族総出で選挙戦を支援した。
ミヨノは今年73歳。6人いる子どもたちはすべて独立し、10人の孫に恵まれた。だが実業家としては現役だ。自宅から20分ほどの自社工場に毎日通う。休みは日曜だけ。長男に子会社を任せているが、70年代に創業して以来、率いてきたロダジャティ社の工場は自ら管理する。家具や木製品業界の状況も的確に把握している。
でも「政治には関わりたくない」とも言う。ジョコウィがジャカルタの州知事選に出馬する時も、大統領候補に名前が取りざたされるようになった時も、一貫して「任期を終えてから次の仕事をしなさい」と助言してきた。「妹も同じ考えだった。でも選挙は水もの。政治情勢が変わって、そういう機会がやってくることもある。その時は人々の期待と信用に全力で応えなければならない」。(配島克彦、写真も)(敬称略)
◇関連記事
【ジョコウィ物語】(2)父方は村長の家系 零細製材業の家庭で育つ (2014年08月11日)