「鮮明に覚えている」 従軍慰安婦体験、語る 中部ジャワのスリさん 東京の連帯会議出席
慰安婦を支援する各国のNGO主催で、現在開催中の第12回日本軍慰安婦問題連帯会議(3日まで東京で)に出席するスリ・スカンティさん(81)が28日、中央ジャカルタ・チキニで自身の体験を話す会を開いた。地元人権団体が主催したもので、人権活動家のエカ・ヒルダンティさんが制作したスリ・スカンティさんを描いた短編ドキュメンタリーも上映された。
スリさんは中部ジャワ州サラティガ市出身。日本軍がジャワ島へ侵攻した1942年、サラティガから日本軍に連行され、日本軍の慰安婦として働かされた。9歳のとき、日本軍兵士が自宅に押しかけ、娘を連行するのを妨害するなら他の家族の者を殺すと脅され、スリさんは連れ去られたという。上映されたドキュメンタリーの中で「当時のことを思い出したくないが、今でも鮮明に覚えている」と語った。
会に参加していた非政府組織(NGO)職員は「インドネシアの若い世代もこの問題を知らない人が多い。さまざまな活動を通して元慰安婦の方の声を届けたい」と話した。エカさんは「日本政府には慰安婦問題についての正式な謝罪と賠償を要求していきたい」とした。
日本でスリさんは会議出席に加え、大学などでも自身の体験を語る予定。慰安婦問題が中国、韓国だけでなく、インドネシアを含めた東南アジアにも存在することを知る機会になりそうだ。
第二次世界大戦中に、慰安婦として日本軍の元で働いていたインドネシア女性の人数は詳細には把握されていない。日本とインドネシアの国家間における慰安婦問題に対する賠償は、58年に締結された平和条約や賠償協定によって解決済みとの認識をインドネシア政府は示していた。
その後90年代に入り中国、韓国の慰安婦問題が大きく取り上げられるとともに、村山政権時代に設立された女性のためのアジア平和国民基金を介して、97年から2007年までインドネシアには総額3億8000万円の賠償金が支払われた。
しかし、インドネシア政府はこれを元慰安婦個人の賠償に充てず、老人介護施設設立に使用、その施設に元慰安婦の入居を勧めるという方針をとった。この政策には元慰安婦や人権団体から不満の声が上っているが、現在も政府から個人保障という形での元慰安婦への倍償金は支払われていない。
(藤本迅、写真も)