「日イは運命共同体」 流暢な日本語で親日外交 12年間滞在の知日家 ユスロン次期駐日大使
次期駐日インドネシア大使(10〜11月就任予定)に決まったユスロン・イフザ・マヘンドラ氏(55)は27日、ジャカルタでじゃかるた新聞の取材に応じた。筑波大で修士、博士号を取得、日刊紙コンパスの東京支局長を務めるなど、計13年の日本滞在経験を持つ知日家で、日イの政治や経済、社会など多分野について流ちょうな日本語で説明。「今後の両国は運命共同体として互恵関係を構築し、さらに友好関係を深めていく必要がある」と強調した。
―日本に長期滞在した経験を持つ、日本語が流ちょうな初めての駐日インドネシア大使になる。赴任後に予定していることは。
◆ユスロン氏 1990年から2003年まで日本に滞在した当時、お会いしたことのある人々にあいさつしたい。安倍晋三首相や麻生太郎財務相ら現在の政府高官は、記者時代に何度もインタビューしたことがあり、今度は大使として旧交を温めたい。
福田康夫元首相とは以前、私が調整役となり、東京駐在の外国人記者を集め、毎週1回会合を開いていた時期もあった。野田佳彦元首相からはよく野党の立場からの見解を伺っていた。
着任と同時に両国関係強化のために始動する用意は出来ている。ムハンマド・ルトフィ現大使にもすでに連絡を取り、現在あるプログラムは継続し、今後必要なものは早急に着手したい。
例えば、すでに多くの日系企業がインドネシアに進出し、西ジャワ州を中心に集積している。さらに効率化を進めるためには、同州カラワンのチラマヤ新国際空港をはじめとする輸送拠点の整備が急務だ。
―東アジアの政治、経済情勢は近年急速に変化している。日イ、日ASEAN(東南アジア諸国連合)の今後の関係は。
◆90年代、日系企業はASEANより中国の方が利益が上がると見込み、中国への進出ラッシュが起きた。しかし、11年の尖閣諸島問題で日中関係が悪化し、多大な影響が出た。日系企業は短期的な利益だけを優先するのではなく、より長期的な視野でインドネシアを見てほしい。現在、コストは多少かかっても将来的に得られるものはさらに大きくなるはずだ。
中国や韓国の企業は猛烈な勢いでインドネシアへの進出を狙っている。中韓にそのチャンスを渡すことで、長期的な日イ友好関係にも影響が出るのではと懸念している。
■恩師が薦めた留学
―知日家として知られるが、日本留学を決めたいきさつは。
◆インドネシア大でユウォノ・スダルソノ氏(アブドゥルラフマン・ワヒド政権で文民初の国防相)に師事し、国際関係を学んだ後、同大経済研究所に2年在籍した。ファイサル・バスリ氏(経済学者)と同期だった。当時講師だったドロジャトゥン・クンチョロジャクティ氏(メガワティ政権で経済担当調整相)から国際経済を学んだ。
留学先として日本を選んだのはこの2人の恩師に薦められたからだ。米国や英国など欧米に留学する学生は非常に多いが、インドネシアにとって重要な国であるにもかかわらず、日本の専門家はあまりにも少ない。政治経済だけでなく、社会や文化を知り、人間関係を築かなければ日本全体は理解できない。「日イの懸け橋としてインドネシアの財産になってほしい」と激励され、日本の国費奨学生として留学した。
訪日当初、日本語はほぼゼロから学んだが、日本の教員や学生に助けられ、論文もすべて日本語で書けるまでになった。日本語を生かし、日本滞在中は日刊紙コンパスの東京支局長を7年間務めたが、特に印象深かったのはスハルト政権末期だ。
インドネシア研究者の白石隆氏や水野広祐氏とともに田原総一朗氏の報道番組に出演し、「いつスハルト元大統領は倒れるのか」と聞かれた。私はスハルト氏のスピーチライターを務め、辞任演説も書いた兄のユスリル(法務人権相、国家官房長官を歴任)に連絡し、数日以内に退陣することを確認して答えた。後日、この予測が現実になった。
私は大使として日イ両国の高官と直接連絡を取り合い、官僚の正規ルートで行き詰まりがちな問題にも素早く対処していきたい。外交に限らず、私が日本で学んだのは個人同士の信頼を得ること。良好な人間関係をいかに築くかだと思う。(配島克彦、レイモンド記者)
ユスロン・イフザ・マヘンドラ氏
1958年2月6日、バンカブリトゥン州ブリトゥン島生まれ。インドネシア大政治社会学部卒。90年、日本留学。筑波大で法学修士号、国際政治経済学博士号取得。日大国際関係学部講師、日刊紙コンパスの東京支局長を務める。2003年の帰国後、メガワティ政権で工業商業相補佐官。04年、月星党(PBB)から出馬し、国会議員に初当選。国会第1委員会副委員長として防衛を担当した。