第2期ユドヨノ改造「統一内閣」(2011〜2014)
ユドヨノ大統領は10月18日、2009年10月に発足した第2期ユドヨノ政権初の内閣改造の人事を発表した。次期大統領が就任する14年10月までが任期の閣僚一覧を掲載する。
※【新】は新しく閣僚、副大臣に就任、【換】は配置換え
■大統領―スシロ・バンバン・ユドヨノ(62)
1949年9月9日、東ジャワ州パチタン生まれ。ムスリム。陸軍退役中将。73年、国軍士官学校を首席で卒業、米国で経営学修士、2004年、ボゴール農科大で農業経済学博士号を取得。
国軍きっての理論派として国軍領域担当参謀長などを歴任。スハルト政権崩壊後は、国軍改革に取り組み、1999年8月のアブドゥルラフマン政権で鉱業エネルギー相として初入閣。2001年8月発足のメガワティ政権で筆頭閣僚を務め、04年に初の国民による直接投票で大統領に就任。
第1期政権で経済、汚職撲滅、治安改善などの分野で成果を上げ、09年9月の大統領選挙で圧倒的な支持を受けて再選。14年には憲法の規定により退任する。
■副大統領―ブディオノ(68)
1943年2月25日、東ジャワ州ブリタル生まれ。ムスリム。米ペンシルバニア大で経済学博士号を取得。中銀で局長まで務めた後、スハルト政権末期からハビビ政権にかけて国家開発計画庁(バペナス)長官。
メガワティ政権で蔵相を務め、ユドヨノ政権下では2005年12月の内閣改造で経済担当調整相に抜てきされた。08年5月、中銀総裁に就任。
国内屈指の経済通として知られ、国際的に評価が高く、各政権で経済政策に手腕を発揮してきた。
政権内で存在感を示した前任のユスフ・カラ副大統領と異なり、ユドヨノ大統領の補佐役に徹している。
◇調整相
■政治・法務・治安担当調整相―ジョコ・スヤント(60)
1950年12月2日、東ジャワ州マディウン生まれ。ムスリム。ユドヨノ大統領と国軍士官学校時代の同期(73年卒)。空軍参謀長作戦補佐官、空軍参謀長を歴任。
ユドヨノ政権下の2006年2月、空軍出身者として初の国軍司令官に就任。民主化時代に沿った職業軍を目指す04年制定の国軍法の下、国軍の内部改革を進めた。
09年7月の大統領選挙では、ユドヨノ大統領の選挙対策チームの副本部長を務めた。
■経済担当調整相―ハッタ・ラジャサ(57)
1953年12月18日、南スマトラ州パレンバン生まれ。ムスリム。バンドン工科大で石油技術を学んだ後、2000年まで石油採掘会社のアルティンド・グループ社長を務めた。
1998年、アミン・ライス氏らと国民信託党(PAN)を設立し、研究技術担当国務相、運輸相、国家官房長官を歴任。ユドヨノ大統領の側近として存在感を高めた。2010年にPAN党首に就任。
二女がユドヨノ大統領の二男と婚約している。次期大統領の有力候補としても名前が挙がる。
■公共福祉担当調整相―アグン・ラクソノ(62)
1949年3月23日、中部ジャワ州スマラン生まれ。ムスリム。キリスト教大卒業。
ゴルカル党青年部(AMPI)部長などゴルカル党の青年団幹部や支持母体であるゴトン・ロヨン協同組合(コスゴロ)代表を歴任。87年、国民協議会(MPR)議員に当選した。
スハルト政権崩壊後、アクバル・タンジュン元党首の側近として党内で発言権を強め、2004年に国会議長に就任。ゴルカル党副党首を務める。
■国家官房長官―スディ・シララヒ(62)
1949年7月13日、北スマトラ州プマタン・シアンタル生まれ。ムスリム。
陸軍士官学校卒。国軍領域担当参謀長補佐官、陸軍ブラウィジャヤ師団(東ジャワ軍管区)司令官などを歴任。
2001年、政治・治安担当調整相秘書官に就任。04年3月、ユドヨノ氏が政治・治安担当調整相を辞任した際、当時のメガワティ大統領に冷遇されていたことをリークし、ユドヨノ人気のきっかけを作った。
04年10月、ユドヨノ政権発足で内閣官房長官に就任。常にユドヨノ大統領に付き添っており、ユドヨノ氏の「側近中の側近」といわれる。
◇各省大臣
■内務大臣―ガマワン・ファウジ(53)
1957年11月9日、西スマトラ州ソロック生まれ。ムスリム。アンダラス大法学部卒。
西スマトラ州広報局長などを務めた後、95年、ソロック県知事に就任。汚職撲滅運動を展開し、汚職撲滅に貢献した人物を表彰するブンハッタ賞を受賞。2005年の西スマトラ州知事選でクリーンさが人気を集めて圧勝した。
地方自治体運営の実績を買われ、入閣。電子住民登録証(E―KTP)の導入やジョクジャカルタ特別州法、州知事選出方法の改定などに取り組む。
■外務大臣―マルティ・ナタレガワ(48)
1963年3月22日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)卒業、ケンブリッジ大で修士、オーストラリア国立大で博士号取得。
外務省報道官、同省東南アジア諸国連合(ASEAN)総局長などを歴任し、2005年、インドネシア外務省史上最年少の大使として駐英大使に就任。07年からは国連大使を務めた。
インドネシアがASEAN議長国を務める11年には、多くの国際会議を指揮する。
■国防大臣―プルノモ・ユスギアントロ(60)
1951年6月16日、中部ジャワ州スマラン生まれ。カトリック。バンドン工科大(ITB)で工学を学び、米州立コロラド鉱山大学で資源経済学専攻、博士号取得。
国営石油・ガス会社プルタミナに勤務後、スハルト政権下で鉱業エネルギー相のアドバイザーや国防研究所副所長を歴任、アブドゥルラフマン政権の内閣改造で鉱業エネルギー相に就任。メガワティ、ユドヨノ政権と3政権で同相を歴任した。2004年に石油輸出国機構(OPEC)の議長も務めた。
■法務人権大臣―アミル・シャムスディン(65)【新】
1946年5月27日、南スラウェシ州マカッサル生まれ。ムスリム。
インドネシア大法学修士号取得。弁護士。79年からカリギス・アンド・アソシエイツ法律事務所で弁護士研修を開始。
繊維・機械大手のテキスマコ・グループに対するコンパス紙記事が名誉棄損に当たるとの2003年の民事訴訟やアチェ特別州で出入国管理法違反の疑いで拘束された米国人フリージャーナリストの弁護など、メディア関係の裁判で活躍。民主党で幹事長などを歴任した。
■大蔵大臣―アグス・マルトワルドヨ(55)
1956年1月24日、オランダのアムステルダム生まれ。ムスリム。
インドネシア大経済学部卒。スタンフォード大留学などを経て、84年、バンク・オブ・アメリカNT&SA入行。
ブミプトラ銀頭取、輸出入銀頭取、国家銀行協会(プルバナス)会長、銀行再建庁(IBRA)長官補佐官などを経て、2005年5月にマンディリ銀頭取に就任。10年5月に辞任したスリ・ムルヤニ前蔵相の後任として蔵相に就任した。
マンディリ銀を再建した手腕や、手堅い政策運営が評価されている。
■エネルギー鉱物資源大臣―ジェロ・ワチック(62)【換】
1949年4月24日、バリ州シンガラジャ生まれ。ヒンドゥー教徒。
バンドン工科大で機械工学、インドネシア大で経済学の学士を取得。
アストラグループのユナイテッド・トラクター社で技術者として勤務した後、バリでホテルや旅行代理店などを経営。2004年に文化観光相として初入閣。民主党副幹事長などを歴任し、09年4月の総選挙で国会議員に当選。11年の内閣改造でエネルギー鉱物資源相に横滑りした。
■工業大臣―モハマッド・スレマン・ヒダヤット(66)
1944年12月2日、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。パジャジャラン大経済学部卒。
不動産業を中心としたマンディリ・スジャトゥラ・フタマ社会長、インドネシア商工会議所(カディン)西ジャワ支部長、インドネシア不動産開発業者協会(REI)会長などを歴任。99年から2期にわたりゴルカル党の国会議員を務め、2002年からは、ゴルカル党の会計担当トップ。2004年、カディン会頭に就任。経済事情に明るく、財界の信頼も厚い。
■商業大臣―ギタ・イラワン・ウィルヤワン(46)【換】
1965年9月21日、ジャカルタ生まれ。ムスリム。
米テキサス大で会計学の学士号、ハーバード大で行政学の修士号などを取得。
シンガポール・テクノロジーズ・テレメディア社の国際事業開発担当上級副社長、JPモルガン・インドネシア社社長を務めた後、2008年に投資会社のアンコラ・キャピタル・マネージメント社を創設。09年、プルタミナ社理事に就任。
同年に投資調整庁(BKPM)長官に就任。外資規制の投資ネガティブリスト改正や、優遇税制創設に携わった。
■農業大臣―ススウォノ(52)
1959年4月20日、中部ジャワ州トゥガル生まれ。ムスリム。ボゴール農科大畜産経済社会学部卒。同大農業経営学修士、企業経営学博士号取得。同大で教授を務めた。
イスラム学生連盟(HMI)ボゴール支部長を経て、正義党(後の福祉正義党=PKS)副幹事長に就任。2002年からPKS副幹事長。
05年から、国会第4委員会(農業、水産、林業担当)副委員長を務めた。
■林業大臣―ズルキフリ・ハッサン(49)
1962年5月17日、ランプン州生まれ。ムスリム。クリスナドウィパヤナ大経済学部卒、経営大(PPM)で経営学修士。
2000年に国民信託党(PAN)幹部になり、05年から10年まで同党幹事長を務める。09年の総選挙で国会議員に当選した。
09年に林業相として初入閣。森林保護政策を進めている。
11年10月に娘がPAN創設者のアミン・ライス氏の息子と結婚した。
■運輸大臣―エフェル・エルネス・マンギンダアン(68)【換】
1943年1月5日、中部ジャワ州ソロ生まれ。プロテスタント。通信教育機関・公開大学社会学科卒。今回の内閣の最年長閣僚。
陸軍トリコラ師団(パプア軍管区)、陸軍指揮幕僚学校長を歴任。95年に北スラウェシ州知事に就任。ゴルカル党の地方支部幹部を務めた後、民主党に移籍。同党幹事長を務めた。2009年の第2期政権では国家行政改革担当国務相を務め、11年の内閣改造で運輸相に横滑り。輸送機関の安全性向上を最重要課題としている。
■海洋水産大臣―シャリフ・チチップ・スタルジョ(63)【新】
1948年10月10日、ジョクジャカルタ特別州生まれ。ムスリム。
2009年からゴルカル党の副党首。国家経済委員会(KEN)委員。
実業界出身で、不動産開発会社アリオビモ・ラグナ・プルカサ社を経営する。
1983年から89年までインドネシア若手経営者協会(HIPMI)会長、2000年から04年までインドネシア商工会議所(カディン)幹部のほか、華人友好協会会長などを歴任している。
■労働移住大臣―ムハイミン・イスカンダル(45)
1966年9月24日、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。ガジャマダ大政治学部卒業、インドネシア大で情報学の修士号を取得。民族覚醒党(PKB)の創設者の故アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領の甥で、2005年に同党党首に就任。その後、元大統領派と対立し、裁判でムハイミン派が正統と認められた。1999−2009年、2期にわたり国会副議長を務めた。
10年に発覚した労働移住省の汚職事件で、建設会社から賄賂を受け取った疑惑が浮上したが、再任となった。
■公共事業大臣―ジョコ・キルマント(68)
1943年7月5日、中部ジャワ州プンギン生まれ。ムスリム。
69年にガジャマダ大卒業後、77年にオランダ・デフルトのインフラ・水理・環境工学研究所(IHE)で修士号を取得。
公共事業省の計画局長、地域インフラ住宅省の住宅開発総局長などを歴任。
2004年10月に地域インフラ住宅省から分離独立後の公共事業相に就任し、09年の第2期政権発足時も留任。経済発展に必要不可欠なインフラ開発に取り組む。
■保健大臣―エンダン・ラハユ・スディアニンシ(56)
1955年2月1日、中部ジャワ州バニュマス生まれ。ムスリム。インドネシア大医学部で学び、米ハーバード大で公衆衛生学の修士、博士号を取得。
79年からプルタミナ病院で勤務した後、保健省ジャカルタ事務所などの勤務を経て、2007年2月から保健省生物医学研究開発センターの所長を務めた。01年には世界保健機構(WHO)本部で伝染病監視・対応担当のテクニカル・アドバイザーを務めた。11年初めには肺がんを患っていることが明らかになった。
■教育文化大臣―ムハンマド・ヌー(52)
1959年6月17日、東ジャワ州スラバヤ生まれ。ムスリム。スラバヤ工科大(ITS)電子技術学科卒業、仏モンペリエの大学で修士、博士号取得。
84年からITS電子技術学科講師、97年にはスラバヤ・ポリテクニック所長に就任。2003年から06年までITS学長を務めた。
07年5月、ユドヨノ政権の内閣改造で、情報通信相として入閣。09年の第2期政権から教育相。11年の内閣改造で役割が再編された教育文化相に就任した。
■社会大臣―サリム・セガフ・アルジュフリ(57)
1954年7月17日、中部ジャワ州ソロ生まれ。ムスリム。
祖父のイドゥルス・アルジュフリ氏は、中部ジャワにイスラムの教育財団を創設、東部インドネシアに約1,800校を設立した著名なイスラム指導者。
サウジアラビアのシャリア・マディナ大で学士、修士、博士号を取得。DKI銀行シャリア部門の幹部などを歴任、国立イスラム大学などで講師を務めた。
福祉正義党(PKS)幹部。2005年11月から駐サウジアラビア大使。
■宗教大臣―スルヤダルマ・アリ(52)
1959年9月19日、東ジャワ州マラン生まれ。ムスリム。シャリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム大卒。在学中はインドネシア・イスラム学生運動(PMII)を率いた。
85−99年、ヘロー・グループに勤務し、最終役職はヘロー・スーパーマーケット副社長。
開発統一党(PPP)に入党し、2007年、党首に就任。11年7月の党首選で再選を果たした。ナフダトゥール・ウラマ(NU)出身。
異端派イスラムとされるアフマディアは「解散すべき」と発言して物議をかもした。
■観光創造経済大臣―マリ・エルカ・パンゲストゥ(55)【換】
1956年10月23日、ジャカルタ生まれ。カトリック。
オーストラリア国立大で経済修士号、米カリフォルニア・デービス校で博士号を取得。マクロからミクロまでをカバーするエコノミストとして、国際的評価も高く、国際戦略研究所(CSIS)のエクゼクティブ・ディレクターなどを経て、2004年、ユドヨノ政権で商業相として初入閣。華人女性として初の大臣となった。
11年の内閣改造で担当分野を再編した観光創造経済相に就任。商業相時代から取り組んできた創造産業育成に取り組む。
■通信情報大臣―ティファトゥル・スンビリン(50)
1961年9月28日、西スマトラ州ブキティンギ生まれ。ムスリム。ジャカルタ情報処理大卒。7人の子どもがいる。
82年、国営電力会社PLNに入社し、通信・データ送信部門で勤務。89年退社後、イスラム学生連盟(PII)などで活動する一方、パキスタンのイスラマバード政策研究所で学ぶ。
98年のスハルト政権崩壊後、福祉正義党(PKS)の前身の正義党設立に参加。2004年10月からPKS党首代行、05年から10年まで党首を務める。
ツイッターやフェイスブックを活発に利用。過激な発言で、地元メディアのやり玉にあげられることが多く、改造人事で更迭されるとの見方も強かった。
◇国務相
■研究技術担当―グスティ・ムハンマド・ハッタ(59)【換】
1952年9月1日、南カリマンタン州バンジャルマシン生まれ。ムスリム。ランブン・マンクラット大林学部卒。ガジャマダ大修士、オランダのワゲニンゲン大で博士号取得。
ランブン・マンクラット大で環境研究センターを設立。同大で講師を務めた。
2009年に環境担当国務相に抜擢され、初入閣。11年の内閣改造で、研究技術担当国務相に横滑りした。
■協同組合・中小企業担当―シャリフディン・ハサン(62)
1949年6月17日、南スラウェシ州パロポ生まれ。ムスリム。クリスナドゥウィパヤナ大経済学部卒。同大経営学修士、カリフォルニア州立大で経営学博士を取得。
1970年から3年間、日本で研修生として働き、日本語が堪能。2001年、ユドヨノ大統領率いる民主党の創設に参加。同党国会会派代表などを務めた。09年、第2期ユドヨノ政権発足時に協同組合・中小企業担当国務相に就任。10年に連立与党連合事務局長に就任し、政府と与党のつなぎ役を果たしている。
■環境担当―バルタサル・カンブアヤ(55)【新】
1956年9月9日、西パプア州ソロン生まれ。キリスト教徒。
英国のダラム大学でMBA(経営学修士)を取得し、南スラウェシ州マカッサルのハサヌディン大で博士号を取得した。
現在、パプア銀行の会長とパプア州ジャヤプラのチェンドラワシ大学長を務めている。2001年に国会で可決された天然資源収入の地元還元など自治の大幅拡大を認めるパプア特別自治法案の起草に関わった。
■女性問題・児童保護担当―リンダ・アマリア・サリ(59)
1951年11月15日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。父アフマッド・タフィル氏は観光通信相、母ルスリラ・シマンジュンタック氏は国会議員を務めた。
インドネシア子どもがん財団、乳房健康財団の顧問、インドネシア女性会議(KOWANI)議長を歴任。女性の権利確立や児童保護の分野で精力的に活動する。
92年にゴルカル党の国会議員となり、98年、国民協議会(MPR)議員に就任。夫は元運輸相で2011年にインドネシア・サッカー協会(PSSI)標準化委員会委員長を務めたアグム・グムラール氏。
■国家行政改革担当―アズワル・アブバカル(59)【新】
1952年6月21日、アチェ州バンダアチェ市生まれ。ムスリム。
シャークアラ大経営大学院修士号取得。99年、国民信託党(PAN)に入党。
2009年から国会議員、国会第1委員会(外交・国防・情報担当)委員。01年、アチェ州副知事に就任。04年、汚職で逮捕された州知事の代行を務めた。
内閣改造でPANのパトリアリス・アクバル法務人権相が更迭されたが、アズワル氏の入閣でPANの輩出閣僚数は変わらなかった。
■途上地域開発担当―ヘルミ・ファイシャル・ザイニ(39)
1972年8月1日、西ジャワ州チルボン生まれ。ムスリム。東ジャワ州ジョンバンのダルル・ウルム大工学部卒、パラマディナ大で修士。
2004年から民族覚醒党(PKB)の国会議員。05年に同党副幹事長に就任した。
第2期ユドヨノ政権の最年少閣僚。
■国家開発計画担当―アルミダ・サルシア・アリシャバナ(51)
1960年8月16日、西ジャワ州バンドン生まれ。ムスリム。インドネシア大経済学部卒。米国ノースウェスタン大で経済学修士、ワシントン大で経済学博士。
パジャジャラン大学で教授を務めた。専門は財政、経済開発、教育経済、マイクロ計量経済。
アジア開発銀行や世界銀行、豪州国際開発局、国際協力銀行(JBIC)などでコンサルタントを務めた。国家開発計画庁(バペナス)長官を兼任。
■国営企業担当―ダフラン・イスカン(60)【新】
1951年8月17日、東ジャワ州マグタン生まれ。ムスリム。
75年、地方紙で記者職に就き、76年からテンポ誌記者。82年ジャワ・ポス紙の会長に就任。全国に地方紙を創刊し、最大の新聞ネットワークを構築。
2009年、国営電力会社PLN社長に就任。独立系電力会社のチャハヤ・ファジャル・カルティム社、プリマ・エレクトリック・パワー社の社長も兼任。ジャーナリストとビジネスマンの顔を持ち合わせる。
■国民住宅担当―ジャン・ファリズ(61)【新】
1950年8月5日、ジャカルタ生まれ。ムスリム。タルマヌガラ大学建築学科を卒業。1980年に建設会社のプリアマナヤ・ジャン・インターナショナル(PDI)社を設立し、不動産やエネルギー業界に従事。
開発統一党(PPP)の中央執行委員会委員を歴任。2009年からジャカルタ特別州議会議員を、11年から国内最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)ジャカルタ支部代表を務めている。
■青年スポーツ担当―アンディ・アルフィアン・マラランゲン(48)
1963年3月14日、南スラウェシ州マカッサル生まれ。ムスリム。ガジャマダ大社会政治学部卒。米国ノーザンイリノイ大社会学修士、同大政治科学博士号を取得。
ハサヌディン大で講師を務めるかたわら、著名政治評論家として各種メディアで活躍した。2004年の総選挙時には、新政党の民族民主党を設立。同年10月のユドヨノ政権発足で大統領報道官に就任。ユドヨノ氏側近として政権を支えた。10年5月に民主党党首選に出馬も敗戦。
弟のチュル氏、リザル氏は政治コンサルタント会社、フォックス・インドネシア社を設立、民主党やユドヨノ氏の選挙運動を主導した。リザル氏は現在、ゴルカル党役員。
◇閣僚級
■検事総長―バスリフ・アリフ(64)
1947年1月23日、南スマトラ州タンジュン・エニム生まれ。ムスリム。
国立アンダラス大法学部卒、パジャジャラン大修士課程修了。
ジャカルタ高検の検事長を経た後、最高検幹部を歴任。メガワティ政権のアブドゥル・ラフマン・サレ検事総長下で検事次長、法務人権省が設置した大型汚職事件の特捜班の代表などを務めた。2010年11月に検事総長に就任。
■国軍司令官―アグス・スハルトノ(56)
1955年8月25日、東ジャワ州ブリタル生まれ。
78年に同州スラバヤの海軍士官学校卒業。2007年4月に海軍東部艦隊司令官、 2008年6月からは海軍参謀長作戦補佐官。ほかに、国防省監査官なども務めた。
2009年11月にはテジョ・エディ・プルディジャトノ氏の後任として、海軍参謀長。ユドヨノ政権下の2010年9月、国軍司令官に任命された。
■国家警察長官―ティムール・プラドポ(55)
1956年1月10日、東ジャワ州ジョンバン生まれ。ムスリム。西ジャワ州バンドン市警察本部長、バンテン州警察本部長、国家警察長官政治社会担当補佐官、西ジャワ州警察本部長、警視総監などを歴任。2010年10月に国家警察長官に就任した。
1998年、西ジャカルタ警察本部長時代、管轄地区内にあるトリサクティ大で学生射殺事件が発生。人権活動家らは問題視していた。
■内閣官房長官―ディポ・アラム(61)
1949年11月17日、ジャカルタ生まれ。インドネシア大数学・自然科学学部で学士、米ジョージ・ワシントン大で管理工学の修士、科学の博士号を取得。インドネシア大学生評議会の代表を務めた。
79年にインドネシア科学院(LIPI)に入り、国家開発計画庁(バペナス)や経済担当調整相事務所で幹部職を歴任し、発展途上8カ国(D8)事務局長、経済担当調整相事務次官などを務めた。アジア通貨危機後の経済政策を担い、国際通貨基金(IMF)との交渉役を務めた。
■開発管理調整官―クントロ・マンクスブロト(64)
1947年3月14日、中部ジャワ州プルウォクルト生まれ。ムスリム。
バンドン工科大(ITB)で学士、博士号、米スタンフォード大で土木の修士号を取得。
国家官房でキャリアを積み、鉱業系の国営会社役員、鉱業エネルギー省の総局長、投資調整庁次官などを歴任し、ハビビ政権下の98年に鉱業相。
2000年に国営電力会社PLN社長。05年4月に創設され09年4月に解散したアチェ・ニアス復興再建庁(BRR)長官を務めた。
開発管理調整官として閣僚人事に関わる各省庁・閣僚の業績報告の作成を担当している。
■国家情報庁長官―マルチアノ・ノルマン(57)【新】
1954年10月28日、南カリマンタン州バンジャルマシン生まれ。ムスリム。
78年、陸軍士官学校卒。父親のノルマン・サソノ同様、2008年に大統領親衛隊司令官、10年にジャヤ師団(ジャカルタ軍管区)司令官を歴任。11年4月、陸軍教育演習担当参謀に就任した。
資産家で、2010年の資産公開によると総資産は90億2000万ルピアに上る。
■投資調整庁長官―未定
◇副大臣
外務副大臣 ワルダナ【新】
国防副大臣 シャフリー・シャムスディン
法務人権副大臣 デニー・インドラヤナ【新】
大蔵副大臣 アニー・ラトナワティ
大蔵副大臣 マヘンドラ・シレガル【換】
エネルギー鉱物資源副大臣 ウィジャヨノ・パルトウィダグド【新】
工業副大臣 アレックス・レトラウブン
商業副大臣 バユ・クリスナムルティ【換】
農業副大臣 ルスマン・ヘリアワン【新】
運輸副大臣 バンバン・スサントノ
公共事業副大臣 ヘルマント・ダルダック
保健副大臣 アリ・グフロン・ムクティ【新】
教育文化副大臣(教育担当) ムスリアル・カシム【新】
教育文化副大臣(文化担当) ウィエンドゥ・ヌルヤンティ【新】
宗教副大臣 ナザルディン・ウマル【新】
観光創造経済副大臣 サプタ・ニルワンダル【新】
国家行政改革担当国務副大臣 エコ・プラソジョ【新】
国家開発計画担当国務副大臣 ルキタ・ディナルシャ・トゥウォ
国営企業担当国務副大臣 マフムディン・ヤシン【新】