【揺れる民主化・1部社会】(3)華人 留学で見つけた「祖国」
スハルト政権時代に中国語を禁止されるなど弾圧された華人。民主化から15年が経ち、自由な空気の中で育った新世代は「インドネシア国民の一員」と「根無し草」の狭間で生き方を模索している。
高架式のMRT(大量高速交通システム)建設に反対するデリル・イマナリさん(19)もその1人だ。「生まれ故郷のファトマワティ通りに造るなんて許せない」。実家は南ジャカルタの同通りで家具店を営んできた。
父が華人で、母はジャワ人。留学先のカナダのトロント大学から帰国したばかり。流ちょうな英語を話す。大学では中国出身の学生も多く「自分がインドネシアの華人だということを認識させられた」と複雑な表情を見せる。
「中国というルーツ」を共有している親近感から仲良くなったが、やがて疎外感を覚え始めた。「中国人が3人以上集まると中国語で話し始める。私は蚊帳の外。『なんで話せないの』という目で見られると、『中国人』ではないと痛感した」
他国出身の留学生とのギャップもあった。英語を話せれば仲良くなれるとは限らない。「自分はインドネシア人」という感覚が出てきたのはそれからだったという。カナダから戻り、豪州の大学に転入して再出発するつもりだ。
スハルト政権崩壊まで、インドネシアの華人は中国籍を放棄したことを示すインドネシア国籍証明書(SBKRI)の取得を義務づけられ、住民登録証(KTP)など諸手続に提示を求められた。プリブミ(土着のインドネシア人)と華人は住民登録上区別すべきとした差別政策の象徴でもあったが、レフォルマシ(改革)時代に廃止され、パスポート申請も容易になった。
時代の変化とともに国と国の壁も低くなった。出国税が廃止され、格安航空会社の競合も激化した。中国や香港、台湾をはじめ近隣諸国との往来も15年間で急増し、中国人や他国の華人と接触する機会も飛躍的に増えている。
デリルさんは「インドネシア社会の中の華人」であることを意識するようになったが、それでも「プリブミと理解し合っているとは言えない」と話す。差別されているという意識は低くなったが、それでもプリブミと交流する中で「違う民族」とみられていると感じる。留学先で出会ったような中国人でもなく、プリブミでもない「根無し草」と思うことも多い。
それでも生まれも育ちもインドネシア。家業が公共事業で損害を受けそうになったのを見て立ち上がった。「ルーツを問わずに人を判断し、出身地にこだわらずに自分の生き方も決めていく」。親の世代とはまったく異なる環境に向き合い始めたばかりだ。(赤井俊文、写真も)
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