【スラマット ジャラン】 日イ特別な関係を 福田知史さん 丸紅インドネシア

 丸紅インドネシアの社長として駐在し、2016年度にジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)理事長も務めた福田知史さん(54)が帰国した。インドネシアでの日本の立ち位置を考え続け、事業を模索した2年間を振り返り、「今後もお互いに特別と思えるような関係でありたい」と語った。

 東日本大震災後の洋上風力発電事業など、「電力畑」を歩んできた福田さんが着任したのは16年4月。「出張で来たこともなく、スディルマン通りすら分からない状態だった」インドネシアで、JJC理事長に就任した。
 「土地勘もビジネスルールも知らない中、JJC会員のメリットって何なのか。何をすべきなのかを考えて議論する場を多く作るようにした」と振り返る。
 常に意識したのは日本のプレゼンスの相対的な低下だ。「インドネシアにとって日本はかつてはスペシャルだったかもしれないが、今は決して特別ではない。積み上げてきた実績があり、特別と思ってもらうにはどうしたら良いか」と考え抜いた。
 福田さんは日本企業の存在感をアピールするため、「インドネシアに対する日本企業の経済的貢献」と題する小冊子を初めて作成し、アイルランガ・ハルタルト工業相へプレゼンテーションを行った。また、18年の日イ国交樹立60周年記念事業のために、当時の谷崎泰明駐インドネシア大使と共に事業を推進する体制の基礎を作った。

■電力、紙に続く事業を

 丸紅のインドネシアでの2大事業は電力と紙パルプの生産だ。パルプ事業について、「丸紅単独で30万ヘクタールの広大な土地で農園を運営するのは、世界でも類を見ない」と話す。在任中はパルプの価格も安定し、植林ノウハウ向上で軌道に乗り始めた。
 電力部門では、中部ジャワ州や西ジャワ州で大規模な火力発電所建設計画を進めているほか、南スマトラ州ランタウ・デダップの地熱発電事業も融資契約が結ばれ本格的に動き出した。
 東ジャワ州で展開する、ウナギ養殖事業は年間500トン程度の出荷規模にまで成長した。「将来的には千トン体制までもっていきたい。エサや池の状態などを工夫していく必要があるが、味の方は向上しており日本で評価されている」と今後に期待する。
 「興行的にはうまくいかなかった」のが博覧会「大ジブリ展」。ただ「展示物のほぼ100%をインドネシアで製作したのはすごいことだと思う。クオリティーの高さに驚いた」と意義を話す。
 心残りもある。約2億6千万人の人口を相手に一般消費者向けのビジネスをやりたかった。「ただこの国はまだ消費が弱い。紙パルプと電力に続く事業の柱を見つける必要がある」。
 丸紅はリッポーグループと検体事業の共同調査を行っており、今後ヘルスケア分野などでの提携の可能性もある。鉄道や港湾建設、ごみ発電などの事業やフィンテックなどの金融分野にも可能性はあり、次代への期待をかける。
 早寝早起き中心の「規則正しい生活をすることができた」インドネシア生活が終わった。4月からは本社の電力本部長付部長に就任した。再生可能エネルギー分野のプロフェッショナルとして、福田さんのインドネシアとの関わりは続く。「日本で使うバイオマス発電の燃料をインドネシアから供給する流れを作っていくと、日本の再生エネルギー比率も高まり、インドネシアの輸出増にもつながるのでは」と協力関係構築への抱負を語った。(平野慧、写真も)

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