【貿易風】キアイ・マフッドの思い出
先月末にキアイ・マフッドという名で知られるマフズ・リドワン氏が亡くなった。彼は長年中部ジャワ州のサラティガに近い村で小さなプサントレン(イスラム寄宿学校)を営んでいた。
キアイはジャワでの尊称であり、通常プサントレンの教師がこう呼ばれる。キアイは父権的な宗教的権威として、社会にも影響力がある。
筆者は、1997年から98年にかけてソロに留学していたころ、キアイ・マフッドのところに通っていた。当時インドネシア語の勉強をしつつ、政治と宗教の研究を志していたが、「調査」にはまだまだ言語能力も知識も不足していた。
キアイ・マフッドは私のたどたどしいインドネシア語に、何時間も付き合ってくださった。彼の個人史やイスラムの基礎について話を聞いた、はずである。当時のフィールドノートは散逸してしまったが、いずれにしろまともなノートは取れていなかったに違いない。
キアイ・マフッドについてまず人々が語るのは、故アブドゥルラフマン・ワヒド大統領と中東留学時代に同部屋だったことである。最大のイスラム組織ナフダトゥール・ウラマ(NU)では、諮問委員会に名を連ねている。しかし大半の時間は小さなプサントレンで過ごしていたはずである。
特徴的なのは、他宗教との交友だろう。近郊にはキリスト教系の私立大学があり、教員や学生がたびたびキアイ・マフッドを訪ねていた。スハルト体制期には、ダムの建設反対運動に神父らとともに立ち上がったこともある。
質素な暮らしを好み、目立たず、温厚だが、いざというときは誰よりも勇敢に立ち上がる。キアイ・マフッドのような人を、ワヒドは親しみをこめて「風変わりなキアイ」(ジャワ語でネェントリック)と呼んだ。
2014年大統領選挙前にはジョコウィがキアイ・マフッドを訪れている。東ジャワ北岸のキアイたちの支持を対立候補のプラボウォが固めるなかで、中部ジャワのジョコウィ支持キアイはマフッドのまわりに集まった。ジョコウィには「簡素で、正直でいるように」と助言したそうだが、政治の表と裏は、よく心得ていたはずである。
ワヒドは、1980年代初めに、国家と大衆を結ぶ仲介者たるキアイの存在が、変革のために重要であると説いている。インドネシアはまだ彼のようなキアイを必要としているようである。(見市建=早稲田大学大学院アジア太平洋研究科准教授)