東ジャワに咲く桜 愛媛の「陽光」を植樹 パスルアン県PIER工業団地 反戦と鎮魂の思い 国内外に10万本超 (2017年02月09日)

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 どんな気候でも咲く桜「陽光」の植樹式が8日、東ジャワ州パスルアン県PIER工業団地にある井関農機の工場で行われ、愛媛県から輸入した苗木4本が植え付けられた。今後スラバヤ日本人学校(SJS)などにも植樹される。陽光は、戦時に軍事教育などを行っていた「青年学校」の教員が、世界各国の戦地で命を落とした教え子の慰霊のため、半生をかけて開発した品種。反戦と鎮魂の思いが込められ、国内外に送り続けた桜は計10万本を超えている。

 植樹式には加藤義治駐スラバヤ日本総領事や井関農機現地法人の谷脇弘志社長、スラバヤ日本人学校の村下俊文校長、東ジャワ州政府関係者ら約30人が集まった。今後在スラバヤ総領事館や東ジャワ州政府の関係事務所に合計50本の苗木が植え付けられる。3年後をめどに花を付ける。
 愛媛県が創業地の井関農機が協力し、今回東ジャワ州に初めて陽光が植樹された。複雑な桜の苗木の輸入手続きに対し、在大阪インドネシア総領事館や東ジャワ州政府関係者などインドネシア側が全面的に協力した。加藤総領事は植樹式で「桜は日本人にとって特別な存在。桜が咲く春の時期に日本を訪れるインドネシア人も多い。植えられた桜が両国の絆の象徴になってもらえれば」と述べた。
 桜が美しい花を咲かせるには、最低気温が10度程度まで下がる時期が一定期間必要とされるが、陽光は気候に関係なく花が咲くよう品種改良された。
 陽光が生まれたきっかけは戦中にさかのぼる。陽光を開発した高岡正明さん(故人)は愛媛県三内村(現在の東温市)の青年学校で農業科の教員だった。「桜の木の下でまた会おう」と語りかけた教え子の多くは戦地で命を落とした。戦地はジャワ島などの熱帯地域や寒帯地域だった。各地で亡くなった教え子の慰霊のため、私財を投じてどんな気候でも咲く桜を開発した。
 1981年に陽光は品種登録され、韓国や中国などに苗木が送られ始めた。東南アジア諸国にも植樹実績があり、インドネシアには2009年に西ジャワ州ボゴール・チボダス植物園に300本の苗木が寄贈されたことがある。
 01年に高岡さんが亡くなった後も、息子の照海さん(74)が活動を続けている。ことし1月末にはミャンマーでアウン・サン・スー・チー国家顧問とともに植樹した。ベトナム政府からも依頼があり、ことしの秋ごろに中国との国境沿いに植樹を予定する。植樹依頼は途切れない。照海さんは電話取材で「父の遺志を受け継ぎ続けてきたが、やめようと思っても、もうやめられませんね」と笑った。15年には高岡正明さんの半生を描いた書籍や映画が公開されている。(佐藤拓也、写真も)

植樹する村下校長(左)、加藤総領事(左から2人目)、谷脇社長(右)
植樹する村下校長(左)、加藤総領事(左から2人目)、谷脇社長(右)

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