【BJS】「人を大切にする心学んだ」 空手で日イの懸け橋に 1期生、松崎沢宣さん バンドン日本人学校30周年 

 「日本人だから関係ないと思うのではなく、日本人だからこそインドネシアの文化をきちんと知ることが大切。学校では自然に身に付けることができ、心も豊かになった」。こう話すのは4月に創立30周年を迎えたバンドン日本人学校(BJS、西ジャワ州)の1期生、松崎沢宣(さわのり)さん(36)。空手の指導者として2007年からバンドンの陸軍学校で教え、現在BJSでも週1回子どもたちを指導する。空手を通じて日イの懸け橋として活躍する松崎さんに聞いた。 

■インドネシアで生まれて
 バンドン日本人学校は標高約800mの山に囲まれた高原地帯にあり、一年中涼しく過ごしやすい。だが、「30年前はもっと涼しかった。水風呂なんてとても入れなかったし、長袖を着ないと寒いくらいだった。今は温暖化ですっかり暑くなってしまった」と松崎さんは振り返る。
 1978年に東ジャワ州クディリ県でインドネシア人の母と日本人の父の間に生まれ、その後バンドンで8歳まで過ごした。父親はインドネシア人に空手を教えていた。「日本の精神や文化を学んでほしい」という父の思いを受け、83年「バンドン日本語補習授業校」の頃に入学。翌年に「バンドン日本人学校」が開校した。
 「池が埋め立てられてしまったのと、ドリアンの木がなくなったのが変わったくらいで、校舎は30年前と何一つ変わらず当時のまま。鍵盤ハーモニカの発表会や運動会、虫採りや芋掘り、他にもウミガメの卵をゆでてみんなで食べたりもしました」
 当時の児童は仕事でバンドンへ来た日本人夫婦の子どもが多かった。学校では日本語だけでなく、日本人らしさや日本の精神について学ぶことができたという。「子ども同士が勉強で競争するインドネシアの地元の学校よりも、穏やかでのびのびと過ごすことができた。人間が好きで、人を大事にし、誰とでも仲良くなれる性格になったのはこの学校のおかげだと思う」。

■30年前のバンドン
 バンドンで幼少期を過ごすなかで、スンダ人の優しさや温かさが今でも忘れられない。今思い起こせば、当時は戦後の日本のような雰囲気だったという。「日本人でもすぐになじめた。知らない人にでもご飯を食べにおいでと言えるような環境で、町のみんなが知り合い同士だった。夜遅くまで帰らなくても両親が心配しないほど、安心して生活していた」。
 現在インドネシアでは経済格差が広がり、治安も悪くなった。「昔は例えばシンナーを吸っている子がいれば、大人が注意していたが、今では誰もが見て見ぬふりをする。経済格差は昔からあり貧しい人が多かったが、今よりも助け合って暮らしていたし、地域社会のつながりは強かった」と、昔を懐かしんだ。

■日本へ帰国して
 8歳のとき帰国し、日本の小学校に編入した。日本人とは違う日焼けした真っ黒な肌やバンドンでは当たり前だったスキンシップを嫌がられ、同級生からいじめられるようになった。
 「まず見た目の印象が違う。BJSで日本語を学んではいたが、家に帰ればインドネシア語ばかりだったので上手く話せなかった。日本の子どもたちの感性もインドネシア人と大きく違っていた」
 悩む松?さんを父親は「負けるな」と励まし続け、いじめを乗り越えた。松崎さんを支えてきたのは幼少期に父から教わった空手だった。中学、高校、大学と本格的に極め、2000年の全日本空手道選手権大会で優勝、以後5連覇を果たした。

■バンドンで空手教室を
 バンドンで暮らす中で、たくさんの人にお世話になった」と松崎さんは話す。現在はBJSで週1回子どもたちに空手を教えている。「恩返しと言うと大げさだが、1、2年で日本へ帰国してしまう子が多いなかで、その短い期間に日本人としてためになる精神を少しでも伝えたい。彼らが大人になってから、学んだことを思い出してくれればうれしい」と目を細めた。
 今後はバンドンで子どもたちが誰でも参加できる空手教室を開く予定だ。「孤児や貧しい子どもたちが、生きていくために盗みをしたり娼婦になったり、道を踏み外してしまう姿をたくさん見てきた。お金への執着も強い。そんな子どもたちが空手を通じて、精神を強く持ち人間性を磨く場となれば」と決意を込めた。 幼いころバンドンで父から学んだ空手。日本で極めて頂点にも立った。今度はインドネシアの子どもたちに空手を教えるという夢が実現する。  (おわり)(毛利春香)

バンドン日本人学校沿革

1997年(平成9年)  幼稚園プレイルーム、多目的教室完成
            選挙過熱のため臨時休校

1998年(平成10年) 学校ホームページ開設
            中学教室・幼稚園年長組教室増設
             多目的横倉庫・体育倉庫設置
             選挙過熱のため臨時休校

1999年(平成11年) 栽培園完成、パソコン室全面改修
             選挙過熱のため臨時休校

2000年(平成12年) ホームページ「マイタウンマップ」
            日本ユネスコ協会連盟賞受賞

2002年(平成14年) 完全学校5日制実施
           ドリアン植樹

2003年(平成15年) 学校裏ワルン火災

2004年(平成16年) 開校20周年記念式典

2005年(平成17年)「バンドンカルタ」第11回マイタウンマップ・コン   
             クール実行委員会推奨作品認定 

2006年(平成18年) 創作童話コンクール学校賞受賞記念モニュメント                         設置

2010年(平成22年) 在インドネシア日本国大使館付属バンドン日本人学 
             校としてインドネシア教育大臣の許可がおりる

2011年(平成23年) ドリアンの木伐採

2013年(平成25年) バンドン日本人学校ホームページリニューアル

2014年(平成26年)  開校30周年記念式典

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