【ジョコウィ物語】(13) 風雲児、市庁舎に来る 接戦しのぎ当選

 選挙は苦戦だった。まず対抗馬2人が強力だった。ハルドノはインドネシア商工会議所(カディン)ソロ支部長。地元経済界の顔役だ。若い頃はエリートの登竜門、イスラム学生連盟(HMI)のソロ支部長を務めた。資産はジョコウィの5倍もあり国政の与党3党が背中を押した。
 ガジャマダ大薬学部講師のアフマッド・プルノモは学者のクリーンな印象が売り。ソロ生まれの「改革の旗手」アミン・ライス率いる国民信託党(PAN)が推薦した。街で有名な薬局を経営し、資産家として知られた。「ジョコウィのことは選挙前から知っていた。ソロは小さい町。実業家の会合で顔を合わせたことがあった」とプルノモは述懐する。
 地元の名家生まれの二人。ジョコウィは最近、家具輸出業で成功した新参者。毛色が違った。
 ジョコウィを推薦する闘争民主党は苦境にあった。党首メガワティは1年前の大統領選で「改革のヒロイン」から転げ落ち、ユドヨノが中央政界の新しい星になる。総選挙と大統領選で大敗し野に下ると党内は不協和音でいっぱいだった。
 ソロ支部も分裂した。党関係者は振り返る。党組織の一部がもう1人の対抗馬、現職スラメットを支持したからだ。
▼金は逆効果
 「ルディと私は6カ月半カンプン(村落)を回り、人々の状況を完全に知っている」。選挙戦の6月15日、ソロ市北東にあるプルムナス運動場での集会。ジョコウィは千を超える聴衆の前で支持を訴えた。「目標は恵まれない家族たちの生活を向上させること。雇用を皆にもたらすことだ」。
 2005年当時、ソロの人口50万人のうち貧困者は7万3579人。貧困率14.7%。基準を厳しくすれば、もっと増えるかもしれなかった。
 ライバルもそのことはよく知っていた。「露天商はわれわれの仲間だ。露天商の立ち退きをしないで市の開発を進める」(ハルドノ)。「教育を無料にする。毎年新しい教科書に金を払う必要もなくなる」(プルノモ)と歩みをそろえた。
 選挙の持論があった。「カネをばらまけば、逆効果」。家具業者協会(ASMINDO)ソロ支部が選挙を支援したが、ジョコウィの要望でスポンサーは探さなかった。
 ジョコウィはプルノモとハルドノをなんとかしのぎきった。新参者の勝利だった。
 結果が分かるとジョコウィはプルノモの自宅を訪れた。「当選おめでとう」。プルノモはジョコウィとルディの手を持ち上げ、勝利をたたえた。その7年後の12年10月、ジョコウィがジャカルタ特別知事になり、ルディが市長に昇格すると、プルノモが副市長になった。旧敵を迎え入れたわけだ。「われわれは選挙で競争したが、同じ志を持つ仲間だった」とプルノモは言う。
▼リストルクトゥリサシ
 ジョコウィは市長に就任すると、市管理職との顔を合わせで、いきなり口火を切った。「官僚機構のリストルクトゥリサシが必要だ」。市管理職は聞き慣れない英語「リストラクチャリング(再構築)」に戸惑った。「素晴らしい報告ではなく、悪い報告を聞きたい」「組織を再生する」「市政府は市民の利益のために働く」‥。たたき上げの新市長はほかの政治家とは余りにも違った。
 98年の民主化から7年たっていた。地方首長選の直接投票は2005年6月に始まり、同月のソロ市長選も最初のひとつ。直接選挙が生んだ風雲児の頭の中では、もう行程表ができあがっていた。(敬称略、吉田拓史)

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